幸せの国

 幸せな国がありました。それはとても幸せな国でした。国民は誰一人として王様に不満を言いませんし、浮浪者や奴隷もいません。皆等しく仕事を持ち、王族を除いて身分に差もありません。これも一重に王様のおかげでした。
 実は王様はこの国を一代で築きあげた英雄なのです。それまでは主に格差と悪政が問題にされていたのですが、突如現れたこの王様によって、幸せの国へと変化したのです。王様は紅色の玉石が輝く杖を振りかざして「私は国民の父である」と一言言っただけなのです。それだけで、国はみるみる変わっていきました。それまでの王を国外に追放し、国家体制を一新しました。全ての国民をお城に召し抱えたのです。店は全て王様の名の下に保護され、国民は安定した生活の代わりに、国のために働く事を命じられました。一人一人に適した仕事が王様から与えられ、国民は喜んで王様のために仕事に明け暮れました。皆は王様に命じられたことだけを忠実に守り、国はどんどん繁栄しました。国民は「王様の言う事を聞いていれば間違いない」という安心感と、大きな存在に跪く喜びを覚えたのです。かくして幸せな国は生まれました。
 さて、この王様ですが、もちろんただ者ではありません。とても優秀な魔法使いでした。
 王様は皆が幸せな国を作ろうと、国民の意思を封じ込める魔法をかけたのです。人間というのは考えれば考えるほど悩み、苦しむ生き物だからです。何かに従い、責任を押し付けてしまえる幸福さを与えたのでした。しかし、それはつまり、王様は国について考え、国民全員を幸福にする責任を一人で背負う事になるのでした。
 他国から嫁いできたお妃様は意思を持つ人間でした。夫婦の間には二人の男の子が産まれました。一人はアシル。頭が良く、王様の後継者兼、良き理解者となりました。弟はノエル。剣の腕が良く、心優しい子でした。王様は孤独と少しの罪悪感から、王族には魔法をかけませんでした。
 アシルとノエルは歳の離れた兄弟でした。アシルは王様の秘密を全て知り、国の平和のために魔法を学びました。一方ノエルは剣の稽古ばかりさせられました。国の事情や魔法のことなど一切知りません。
 ノエルに剣を教えていたのはギスランという青年でした。歳はアシルと同じくらいです。ギスランは王様によって「ノエルに剣術を教える仕事」を与えられていました。ギスランはノエルに、優しくも厳しく稽古をつけてくれました。ノエルは王様やお妃様、アシルよりもギスランによく懐きました。布団に入っても、ギスランが傍にいないと眠れませんでした。
 ノエルは幼いころから、歳の離れた優秀な兄の陰にばかりいて、愛に飢えていたのでしょう。その愛をギスランに求めたのでした。王様もそれに気付き、ギスランに「ノエルの面倒を見るように」という新しい命令を出しました。
 それからのノエルはギスランにべったりでした。手を繋ぎたがり、ハグやキスをねだりました。一緒に寝たいと言い、ギスランの姿が見えないと、不安で泣きそうになりました。ギスランはその全てに、忠実に従いました。しかしそれは、意思という意思が無く、王様の命令を守っているだけなのでした。
 ノエルはギスランが自分を好いてくれていると思い込んでいました。ノエルが泣けば慰め、笑えば笑みを返し、時には叱ってもくれるのですから、そう思っても無理はありません。ギスランを始めとした国民は、限りなく人に近い機械と化していました。
 ノエルはしだいにギスランに全てを求めました。父となり、母となり、友となり、恋人となり、教師となることを求めました。国で唯一人、幸せを求めました。
 王様はこれに慌てました。幸せになるためではなく、幸せの責任を負うのが王族の役目だからです。そこで王様は、城の兵にギスランを殺すように命じました。兵は二つ返事で承諾し、早速ギスラン暗殺のために動きました。
 王様がほっと一息ついていると、城内から甲高い悲鳴が聞こえました。侍女の声のようです。王様は報告をじっと待ちました。しかし、伝令の話を聞いてびっくりしてしまいました。
「ノエル様が、ギスランドのを襲った兵を殺害されました」
 伝令が言うには、先ほど送った刺客を、ノエルが一撃で切り捨てたというのです。
 王様はあんまりにも驚いて、しばらく考え込んでしまいました。ノエルに全て話すかどうか、決める時だと思いました。というのも、王様がノエルに魔法を隠していたのには理由がありました。ノエルは心優しい清い子で、汚すに忍びなかったこと。そして何より、王族が国民をコントロールしていると知れば、ノエルが大変に悲しむと思っていたのです。
 王様は悩んだ末アシルに相談しました。アシルは少しの憤りを持って答えました。
「父上、それは傲慢というものです。何も知らないノエルに、どうして責任を負う義務がありましょう。ノエルを王族として育てたいのなら、全てを教えるべきなのです」
「なるほど、それはそうだろう。しかし、言ってしまえばノエルは深く傷つく」
「父上は矛盾しておられます。王族に幸福を禁じているのに、ノエルの幸せを願わずにはいられないのですね」
 アシルはさめざめと涙を流しました。アシルも王様と同じ気持ちだったからです。二人は無邪気なノエルを守りたかったのです。いつか汚してしまうのではないかと気に病んでいました。そこで、アシルは提案を出しました。
「できるだけノエルには秘密にしていましょう。そして、ギスランをそっと消すのです。ノエルに王族の役割を負わせ、その純粋さを保つためにはこれしかありません」
 アシルは王様に頼んでギスランにある命令を出しました。しかし、それは命令というより洗脳でした。「死ぬべきだ」と呼びかけたのです。
 遠回しですが、これも立派な命令でした。ギスランは単純な命令と複雑な命令に悩むようになりました。そうしてギスランは死にたがるようになりました。
 ノエルはギスランの変貌に驚きました。生気が無いというのでしょうか、瞳が濁って、やつれているように見えました。それでもギスランはいつものようにノエルの言う事をよく聞いてくれるのでした。
 ギスランの心は闇の中でした。この幸せな国で唯一不幸せな国民でした。
 ノエルは、いつも支えてくれるギスランの助けになろうと思いました。ノエルはまず、何に悩んでいるのか尋ねました。ギスランは「どうしたらいいのか分からないのです」と答えました。
「ただ自分はどうしようもなく死にたいのです」
 ノエルは必死で「死ぬのは許さない」と言いましたが、彼の言葉には魔法が宿っていません。ギスランを一層悩ませるだけでした。
 ノエルは今まで以上にギスランにひっつくようになりました。ギスランが遠くに行ってしまう気がしたからです。
 ノエルが話しかけるたびにギスランの胸は掻き乱されました。死にたくてたまらないのに、ノエルの面倒を見るために生きていなければならないと思い出すのです。ギスランはいつも気が狂いそうでした。眠る時だけが平穏でした。しかしそれも一時で、夢から覚めると隣にはノエルがいます。それに気付くと、ノエルを抱きしめ、そのまま絞め殺したくなるのでした。
 しだいにギスランの頭の中で、命令は歪曲されていきました。操られているとはいえ、国民も人間です。脳は働いているので、ここの命令がその枠の中で少しづつ形を変えると言うのはよくありました。ギスランも同じで、彼の人生の道しるべとなった、「ノエルの面倒を見る」という命令は性質を変えました。
 狂乱の中、ギスランはノエルを真に愛するようになりました。皮肉な事に、ノエルへの愛はギスランの精神と引き換えに生まれたのです。
 ノエルはギスランを愛し、ギスランもまたノエルを愛しました。しかし、ギスランはすっかり壊れてしまいました。貪るようにノエルを求め、甘く甘く「殺してください」と囁きました。ギスランは相反する二つの命令を、ノエルに殺される事で果たそうとしたのです。苦しみながらも出した答えですが、それは諸刃の剣でした。ノエルはギスランを殺す気など全くありませんから、ギスランの願いが叶えられる事は無いのです。
 ギスランは時々発狂しました。自らの腕に噛みつき、血を啜り、ナイフを脚に突き立て、続けて心臓に刺そうとして止めるのです。「ノエルに殺される」というのが己に課した命令でしたから、自害は許されないのです。
 血塗れのギスランを見て、ノエルはいつも胸を痛めました。この幸せな国の中で、生きることそのものが苦痛である人など見たことがありませんでした。
 二人は毎日、愛し合う喜びと、生きる苦しみを噛み締めていました。
 それが一年も続くと、とうとうギスランに限界が訪れました。ノエルに縋りついて泣き喚き、落ち着いたかと思うと、笑って「殺してください」と言いました。
 ノエルは爪先から腹の底に、冷たい何かが走った気がしました。それが死の恐怖だと、失う絶望だとノエルは知りました。同時に、何故今さらそれに気付いたのか悟りました。
 ギスランがノエルに剣を握らせました。まるで、この時のために剣術を教えてきたとでも言うようでした。
 ノエルは冷静でした。ギスランにキスをして、剣を握り直し、花の代わりに一言添えて目の前の首を刎ねました。ノエルの剣は鮮やかに、一太刀で全てを終わらせました。
 夢のような一瞬の後、ギスランの狂気がノエルを蝕みました。ノエルの世界に、心地よい夜空が広がりました。夜空はノエルを優しく抱いてくれました。
 
 王様とアシルはノエルを祝福しました。
「おかえりなさい、私たちの天使」
 と謳い、ハグとキスと慈愛を雨のように注ぎました。ノエルは幸せそうに笑って、それを享受しました。
 ノエルはすっかりギスランを忘れました。魔法のせいではありません。ノエルの意思が、自らにギスランを忘れるように命令したのです。魔法とは違って不完全なため、ギスランと過ごした期間の全てを忘れてしまいました。いつまでも子供のように無知で無邪気に笑いました。おかげでノエルは汚れなき天使として、国に愛されました。王様とアシルの悲願は成就したのです。
 それからというもの、王国に再びギスランのような不幸せな国民は現れませんでした。
 誰もがギスランを忘れた頃、王国はますます栄え、王様が死んでも、アシルが死んでも、ノエルが死んだ後も、永遠に幸せの国として繁栄しました。

おほも風味