秋祭り
「祭りに行こう」
と、毎年恒例の秋祭りに誘ってみた。いつも女と遊び歩いている圭と一緒に出掛ける機会なんて、一年の内でこの秋祭りだけと言っても過言ではない。この秋祭りは、ちょうど圭が女と別れる時期に始まるのだ。だから初めは「彼女と別れた傷心の気分転換に」なんて言って誘っていたのだが、これが面白いくらいに毎年同じ時期に別れるので、自然と毎年行くようになった。もちろん、いつも通りに女と別れただけの圭が意気消沈しているとは思っちゃいない。単純に、圭と遊びに行きたいだけの口実だ。俺が一年守ってきた圭が、本当にまだ天使であるかの確認ができる絶好の機会なのだ。
圭はいつも訝し気にこちらを睨みつつ、最後にはついて来てくれる。今もスマートフォンをいじっていた手を止めて、不審そうに見上げた。
「俺金ねえよ」
いかにも不機嫌そうな低い声で唸る。機嫌の悪さをアピールしているというよりは、小さい子供が知らない人に声を掛けられた時の牽制に似ている。
「じゃあ決まりだな」
俺は自分の財布をポケットから取り出して、顔の横にチラつかせた。俺はバイトをしているから、それなりに金はある。実際は仕送りだけで遊んでいる圭の方が金を持っていたりするのだが、こうして圭の為に金を使うのは悪い気がしない。
圭の眉間に皺が寄った。きっと、俺の事が理解できないのだろう。しかし、圭は何も言わない。黙って立ち上がり、着替えるために服を脱いだ。たぶん、見た目ほど嫌がっているわけではないのだろう。俺との距離を測りかねているのだと思う。圭は好意の有無には敏感だが、それ以外がとんと抜けている。誰が自分を愛してくれて、誰が自分を傷つけるのか、それだけに神経を使っている。だから、好意の有無を無視した信仰には気付かない。それでいいし、そうであってくれないと困る。自分が天使として崇められていたなんて知ったら、圭はきっと今までのように奔放に振舞ってくれない。それは、天使を失う事と同義だ。
圭が服を脱いでいる間に、俺は圭の箪笥から服を一式見繕った。昼のうちは良いかもしれないが、夜は肌寒くなってきている。半袖のシャツに長袖の上着、それに綿のパンツを合わせておいた。それを差し出すと、躊躇いなく受け取ってくれた。天使の世話をするのが楽しくて、最近はコーディネートも俺の仕事だ。圭の身の回りは全て俺がやっていると言ってもいい。朝は起こしてやって、食事を作って、着替えを手伝い、洗濯をして、掃除も俺の仕事。ゲームの相手をしてやるのも、愚痴を聞くのも全部俺の仕事。大学では授業の面倒を見てやるし、単位を落とさないように出席の管理もしてやる。なかなか充実しているが、天使への敬愛を示すためにはこれだけでは飽き足らない。もっと天使の為にできることを、と考えた末に、服の世話をしようと思ったのだ。本当は排泄や風呂の世話もしてやりたいのだが、天使の肌に触れる危険が多いため却下されている。
それが今日は圭を独占して世話できるのだから、気分も高揚する。
圭の支度が整うと、二人で部屋を出た。秋祭りの会場までは、徒歩で十分。会場に近づくにつれ、人が多くなる。沢山の家族連れや恋人達で、道が一つの生き物みたいに蠢いていた。会場に着いたのは日が暮れ始めた頃で、食べ物の屋台は思ったよりも空いていた。とはいえ屋台が並ぶ通りはそれなりに人が多く、この中で人を探そうものなら大変な労力になりそうだ。圭は後ろをついて来ているようだが、きょろきょろと女を物色しているような動きを見せている。この調子だと、はぐれるのは時間の問題だろう。
「圭」
少し大きめの声で呼んで、立ち止った。圭はびくりと肩を跳ね上げて、こちらを見た。
「はぐれるかもしれないから、俺の服の裾持ってろ」
圭は目を丸くして、一度俺の服の裾を見た。顔を上げると鼻で笑う。
「はぁ? ガキじゃねえんだから、はぐれたって問題ないだろ。なんかあったらメールでもなんでもすればいいじゃねえか」
「ごめん、携帯置いてきちゃった」
しれっと、嘘。もちろん鞄に入っている。圭との時間が邪魔されるのが嫌で、電源は入れてないけれど。圭は信じたらしく、口を半開きにして俺と服の裾を交互に見ている。「ほら、いつまでも止まってたら迷惑だろ」と急かしてやれば、圭は焦って目の前の袖をひったくるように掴んだ。ちょっと混乱させれば、こちらの思うように動いてくれる。この素直さが愛おしい。手袋を持ってきていたら、手を繋いで歩けたのに。惜しいことをした。
群衆の中を再び歩いた。圭は俯いているようで、先ほどの落ち着きの無さが嘘のようだ。これでは面白くない。「何か食いたい物あるか?」と声を掛けると、慌てて顔を上げた。
「ん、あー……たこ焼き、とか」
「さっき通り過ぎたばっかじゃねえか」
「知るかよ、人が多すぎて何にも見えねえっつーの」
俯いてたから見てなかったくせに、何を強がっているのやら。くくっと喉で意地悪く笑うと、脛を蹴られた。
「あっちにりんご飴あるぞ。お前好きだったよな」
「分かってるならさっさと買って来いよ。これ歩きにくいんだよ」
そう言って、袖を乱暴に引っ張る。嫌なら従わなければいいのに、律儀に守っているのかと思うと、また笑いが込み上げた。また蹴られかねないから、笑いはなるべく押し殺す。不満は漏らすくせに、袖を掴む手に力が込められている。堪らなくなって、圭の靴紐を踏んだ。「あっ」と言って、圭がつんのめる。すぐに身体を反転させると、圭が胸に飛び込んできた。「なにしてんだよ」と言えば、「なんか引っかかったんだよ」と足下に目をやる。俺も同じように視線を下げて、綺麗に解けた靴紐を見た。
「なんだ、靴紐解けてるじゃん。結んでやるから、いったん道外れるぞ」
圭の服を引っ張って、大きな通りから抜け出す。一つ道を外れただけで、嘘のように人通りが減る。一軒も屋台の無い場所に用がある人間なんて、そういない。適当なベンチに圭を座らせて、俺はその足元に跪いた。神の像の前に跪くような錯覚がして、胸が躍った。
「蹴ったりするんじゃねえぞ」
と、冗談っぽく言うと、「うっかりってこともあるからなぁ」と、にやにや顔が返ってきた。
圭の靴紐を手に取る。綺麗に俺の足跡が付いていて、満足した。靴紐を踏むのは難しくない。圭の靴を選んだのは俺だし、紐が余るように結んでおいたのも俺。俺の歩調に合わせて歩かせていたし、あとはタイミングを合わせて真後ろの紐を踏むだけだから、コツさえ掴めば簡単だ。
幼気な天使を堪能したし、このトラップは回収しておこう。紐が余りすぎないように蝶々結びにして、二つの輪を片結びにして補強する。たぶん、これで今日解けることはないだろう。
「できた」
立ち上がると、圭も一緒に立った。「飴、買いに行くぞ」と笑うと、嬉しそうに「おう」と笑う。歩き出すと同時に袖を掴む圭に、心底嬉しくなった。
りんご飴を一つ買って、ビニールを外してから圭に渡した。圭は「サンキュー」と言って俺の袖から離れた。美味しそうに飴を舐める圭。見ているだけで、満たされる。あの飴も、りんごも、今日圭が僕に与えられて口にするもの全て、天使の胃の中で溶かされるのだ。女に迫られて吐き出す、あの天使の証に変わっていく。貯金箱にどんどん金が溜まっていくようなわくわく感。この秋祭りの一番の楽しみがこれだ。
ふと、女のひそひそ声が聞こえた。二人の女がちらちらこちらを見て、なにやら話をしている。「あの人かっこよくない?」「でも、遊んでそうだよ」「そういう所がいいんじゃない」などと、下卑た話をしている。どうやら圭を見て言っているようだ。圭もそれに気付いたらしく、そいつらに向かって笑顔で手を振った。女共はきゃあきゃあと色めき立ち、顔を見合わせながら、一歩こちらに踏み出した。
「圭、行くぞ」
圭の肩を掴んで、そいつらとは逆方向に引っ張る。「は?」と間の抜けた声を無視して、強引に圭を攫った。あんな奴らに、年に一度の天使との時間を邪魔されてたまるか。お前らは今日以外ならいつでも天使を自分の物にできるんだ。今日まで天使を食い物にするつもりか、汚い豚どもめ。そうだ、秋祭りは天使が汚い人間から守られる日なのだ。今日だけは、今日だけは俺の物だ。
ぐいぐいと引っ張り続けて、あいつらが見えなくなるまで歩いた。そこは、ちょうどたこ焼きの屋台がある場所だった。抗議の声を上げる圭を無視し、たこ焼きを一パック買う。
「ほら、食べたかったんだろ」
たこ焼きを押し付けると、「りんご飴持ってるから食えねえよ」と呟かれた。
「じゃあ、どっか座る所探すぞ」
服の上から圭の腕を掴み、また引っ張って歩く。「なぁ」とか「おい」とか、圭があれこれ声を掛けるが、全て聞こえないふりをした。
限界だ。天使が汚い人間に食われる様を見ているのは、本当は耐えられない。それに抗う天使が美しいから、人の汚れの中で自由にさせているだけだ。天使が天使である証を吐き出すのが、例えようもなく幸福で、喜ばしいことに思うから、あえて苦汁を舐めさせているにすぎないのだ。いや、天使を信じてさえいれば、部屋の中で囲っているだけでも十分幸福かもしれない。そう、天使が汚されるのを良しとするしかないのは、俺の弱さゆえだ。天使が天使である証拠を見続けていないと、天使の存在を疑い始めてしまうのだ。天使を疑えば、俺は天使を守れず、天使は失われるだろう。天使が失われたら、俺は、この世界に希望が持てない。世界とのつながりを絶ってしまいたくなる。だから、俺はいつも天使が蝕まれる様を、歯を食いしばって見ているのだ。それが俺の信じる道で、正しい宗教だ。
気付けば、見覚えのある道を歩いていた。知らないうちに戻ってきていたらしく、靴紐を結んだ時のベンチにたどり着いた。先ほどと違うのは、辺りがすっかり暗いという点だけだった。
「なんだよ直人。妬いてんのか?」
面白そうにからかう圭を、乱暴にベンチに座らせる。腰を強くぶつけたらしく、痛みに呻いた。一緒に、圭の横にたこ焼きを放り投げる。俺はベンチの背もたれに手をついて、圭に覆いかぶさった。右膝を圭の左脚の横に置き、逃げ場を無くした。圭の顔が、とても近い。少し怯えるような顔をしている。
「お前、もう女と付き合えないよ」
思わず口をついて出た言葉は、女好きの圭を否定するような色を持っていた。それは、圭が言う通り嫉妬だったのかもしれない。天使を殺そうとする人間どもへの復讐だったり、聖なる日に天使を触れようとした人間どもへの嫉妬。
圭が息をのむ。何か言おうと、唇を震えさせている。やがて、ゆっくりとその口角が上がった。
「お前、俺のこと好きなの?」
圭の手が上がってきて、俺の頬に触れようとする。その緩慢な動きを目の端で捉えた。ぞっと背筋が凍って、すんでの所で、その手首を捕まえた。バクバクと心臓がうるさい。手首まで服があって良かった、と、胸をなでおろした。天使の肌に触れるのは、いけない。神聖さに耐えられない。急速に頭が冷えていく。圭の手首を放し、一度身を引いてから隣に座った。
「冗談だよ」
目に手の甲を当てて、首を晒す。はぁ、とため息をついた。圭は俺をじっと見ているようだ。
「さっさと飴食えよ。たこ焼き食っちまうぞ」
「おう」
圭はりんご飴を舐めながら、片手でたこ焼きを拾い上げた。いそいそとりんごとタコを交互に食べる。俺はそれを見て、たこ焼きのパックを持ち上げた。
「もう暗いし、食べにくいだろ」
たこ焼きを串で刺し、「あーん」と言って圭の目の前に持っていく。
「お前さぁ、さっきの後でそういうことするか?」
顔を引きつらせて笑う。天使の世話がしたいだけだから別にホモではないし、いいんじゃないかと思う。が、まぁそんなこと絶対に言わないし、そんな事情を知らない圭には、確かにホモ疑惑を持たれても仕方がないのかもしれない。だが、そんなことで天使の奉仕を止めるわけにもいかない。
「さっきのは冗談だろ」
あっけらかんと言ってのければ、圭は乾いた笑いを一つ、呆れた笑みを一つで答えた。
「ま、俺は優しいから、幼馴染君のおふざけに乗ってあげますよ」
にやにや笑いながらも、圭は従順にたこ焼きを食べる。俺の手から物を食べてくれたのは初めてだ。なんだか楽しくなって、次のたこ焼きを準備した。「一個だけじゃねえのかよ」とますます呆れられる。まだたこ焼きは三個残っている。全部食べさせなくては気が済まない。そうだ、このたこ焼きも、全部天使の証の糧になるのだ。そう思うと、空気の読めない女共への怒りも和らいでいく。言葉とは裏腹に、圭は次のたこ焼きも俺の手から食べた。喉が動いて、たこ焼きが食道を通って行くのを確認する。夢でも見ているような満足感。「美味しい?」と聞くと、「冷めてる」と言う。それすら気分がいい。結局りんご飴そっちのけで、たこ焼きを完食してしまった。
「ごみ捨ててくる」
そう言って立ち上がった時、どこかからくぐもった声が聞こえてきた。辺りは暗くて、何も見えない。こんな人通りの無い所に、誰かいるのか? と、思考して、まさかと思った。
「圭、」
振り返ると、圭はりんご飴を落とした。手で口を塞ぎ、縋るような目でこちらを見る。俺はごみを取り落として、圭の肩を掴んだ。圭の右手が俺の腕に縋りつく。顔は真っ青だ。ゆるゆると圭が指さした方を見ると、少し離れた路地の暗がりで、男女が交わっていた。と言っても、ここからはっきりと見えるわけではない。見え隠れする肌色と、押し殺したような女の嬌声が物語っているだけだ。恐らく、祭りの帰りに盛ったつがいがこんな所で始めたのだろう。もしかしたら、俺たちが来る前からやっていたのかもしれない。間抜けにも、俺は自分の事で手一杯だったし、圭も俺に振り回されるがままで気付けなかった。こんなタイミングで気付くなんて。
「なお、と」
吐き気を堪えながら、圭が声を絞り出す。
苦しそうな圭を見て、俺は、興奮を隠せなかった。「ここから離れよう」と言うべきなのに、なかなか言い出せない。もしかして、天使が俺の手から食べた物を吐き出す様を、幸運にも見れるのではないか、という気持ちが逸っていた。
「圭、圭、大丈夫か」
上っ面だけの言葉が舌を滑る。まさか、こんな所に汚い豚が潜んでいたなんて。あぁ、でも。
「ぐっ、えぅ、はぁ……、あぁ……」
吐き気に喘ぎながら、天使はますます俺に縋る。圭の左手は口を塞いだり、胸を掻きむしったりと忙しなく動いている。固く閉じた目の端に、涙が光った。その様子に、神に感謝したくなった。天使を身近に感じる。天使が俺を頼っている。それがあまりにも幸福で、ふと今日の日の意味を思い出した。そうだ、今日は天使が守られる日のはずだ。なら、天使が穢れに苦しまないようにしてやるべきなのではないか? だが、それでは天使の証を見ることは叶わない。だが、いや……。
しだいに腕にすがる力が弱くなる。背が丸くなり、息が浅くなる。
俺は、意を決して、その両耳を手で塞いでやった。天使の肌が、直に触れている。これは、本来ならば禁忌だ。してはいけない。天使は神聖だから、俺のような敬虔な信者は触れてはいけない。天罰だろうか、触れた部分が、じりじりと熱く感じる。ピアスの部分だけが、刺すように冷たい。目の前がちかちかと光っているような気がする。天使の苦しみが、肌から伝わってくるみたいだ。
「はっ、あっ、……はぁ、ふぅ……」
少し落ち着いたのか、息が整い始めた。もったいないような気持ちと、安堵。今は、やはり離れてやるべきだ。これ以上タブーに手を染めるのは心臓に悪い。それに、圭はこの間吐いたばかりなのだし、節操なく遺物を賜る物ではない。堪えなくては。
まだ獣の声は聞こえてくるが、少しだけ、耳を塞ぐ指の隙間を開ける。その隙間に口を寄せ、短く囁いた。
「圭、立て。もう……行くぞ」
目を瞑ったまま、圭はコクコクと頷き、俺の手の上に自分の手を重ねた。俺は手を滑らせるようにして自分の手を抜き、圭の肩を抱いて、ゆっくりと歩いた。
元々大きな雑音でもないため、数歩遠ざかっただけで声はほとんど聞こえなくなった。念のためにその通りから離れて、人がまばらになった大通りに出た。「もう大丈夫だぞ」と言って肩を叩いてやる。それに気付いて、圭は俺の袖をしっかり掴み、潤んだ瞳を上げた。
「悪い」
いつもの軽薄なイメージとは程遠い、深刻な顔。痛ましさすら覚える。
「帰るぞ」
圭は頷いた。はしゃいで疲れた子どもみたいに、ぼんやりとした足取りで、けれどしっかりとついてくる。帰り道は、あれだけいた人が散り散りになって、空気が寒くなる。音も冷えたみたいに、遠くの車が走る音だけが聞こえる。そういえば、俺は何も食べていない。圭もたこ焼きだけだ。帰ったら、何か作らないと。
「俺」
圭が、独り言みたいに口を開いた。横目で見るが、俯いていて圭の顔は見えない。
「お前がいないと生きていけねぇのかも」
袖を掴む手が、熱い気がした。
ホモに傾く