二二〇〇年五月八日テネシー州某所。ドネリー巡査が五歳の少年を保護した。少年が足に合わない靴を履いてふらふらとしていたところを、不審に思った巡査が保護に至った。
少年はロイ・アーノルドと名乗った。家はテネシーであるらしいが、この辺りは見覚えが無いという。話を聞くに、おじさんの家から出てきたが見たことの無い景色に驚いていたらしい。その「驚く」というのも少し変わっていて、見るもの全てが新しいようだった。道路、家、車に至るまで、全てに感動した。ロイは巡査が署に連れていくまでの間に、アメリカでは当然のことを幾つも不思議そうに尋ねた。
署に着いてから、巡査はまずおじさんについて聞いた。おじさんはロイの知り合いではなく、半年くらい前に声を掛けられて以来、おじさんの家に住んでいたらしい。つまり、ロイは半年前にそのおじさんに誘拐されたということだった。
思いかけず大きな事件を引いてしまった巡査は、とにかくここ一年間の捜索願を洗い出した。便利な物で、そういった書類は全てコンピューターが処理してくれている。端末をちょっと操作して検索をすると、ロイはそれにも感嘆の声をあげた。結論から言えば、ロイの捜索願は出ていなかった。試しに五年間分も検索してみたが、一つも出ない。テネシー州内のデータしか見ていないからか、と巡査は一旦手を止めた。
おじさんの家で何をしていたのかと尋ねると、ロイは何もしていないと答えた。そのおじさんはロイに三食きっちり与え、しょっちゅう新しいおもちゃを寄越したらしい。あとはただおじさんと会話をするだけ。特別怪しいことはなかったらしい。ただし、家の外には出してもらえなかったという。では何故出て来られたのかと言えば、今日おじさんがいなくなっていたらしい。よく分からないが自分の家に帰ろうとおじさんの靴を借りて家を出ると、見たことの無い景色に戸惑ったという。
おじさんの特徴を尋ねると、また頓狂な答えが返ってきた。おじさんとは毎日顔を合わせるが、みるみるうちに歳を取っていくのだそうだ。半年前は三十代のおじさんだったらしいが、昨日は六十代のおじいさんのようだったと。
巡査はようやく、これは子供の新しい遊びだなと気付いた。今の時代、若返りの技術は出ていても、老化を早める技術なんて誰も得しない。そんなのは絵本のファンタジーを夢見る、子供の戯言に違いないと考えた。試しにおじさんの家はどこだと尋ねてみると、ぽかんとしてどこから来たのか忘れたと答えた。
「君は向こうから歩いてきたね。君の家はきっとあっちさ」
そう言って巡査はロイを署の外に連れ出し、その場に放置して締め出した。すると大急ぎでロイは中に戻ってきて、お家が分からないと泣きついた。
「道に迷ったなら素直にそう言うといい。おかしな設定を作られちゃ、こっちも困るんだよ」
わんわんと泣くロイに親の名前を尋ねると、素直に両親の名前を口にした。住所は覚えていないようで、なんとか名前だけを頼りに家を見つけた。合致する名前の家は存外近くにあった。巡査は紙に地図を描き、ロイに渡した。
「変な遊びはやめるように」
釘を刺してから渡すと、ロイは不満そうな目で巡査を見上げ、ぽこぽこと靴を鳴らして去っていった。
アーノルド夫婦から電話が入ったのは、そのすぐ後だった。
その夜にロイは再び署にやってきた。アーノルド夫婦が連れてきたのだ。老夫婦は、ロイを誘拐した犯人を見つけてほしいと強く訴えた。アーノルド夫婦の言うことには、ロイがいなくなったのは四十年も前のことで、無事に戻ってきたのは嬉しいがどうしても犯人を見つけて罰してほしいとのことだった。四十年前と言われても、どう見てもロイは五歳前後だ。巡査はさっぱり理解ができなかったが、とにかくもう一度ロイから話を聞くことにした。
「やぁやぁ、ロイ。君はおじさんの家に居たんだよね。その家がどの辺にあったか覚えていないかい」
ロイは「あっちなんでしょう」とふくれっ面で巡査が前に指した方向を示した。
「どのくらい歩いた?」
「三十分くらい」
「家の外観は覚えている? おじさんの名前は?」
「知らないよ!」
やれやれと巡査は腕を組んで唸った。すると一つ名案が浮かんだ。
「そうだ、ロイ。ドライブに行こう。実際に道を辿れば思い出すかもしれない。それに君はタイヤの無い車を見たことが無かったね。乗せてあげよう」
ロイは目を輝かせて頷いた。タイヤの無い車は現代では一般的で、ロイはそれも見たことが無いと言っていた。巡査は老夫婦に一言断りを入れて、ロイをパトカーに乗せて町に出た。行き先はおじさんの家だ。初めて車に乗ったとでもいうように、ロイははしゃいだ。おかげですっかり機嫌が戻ったようだった。逐一ロイに尋ねながら、ロイが歩いて来た方向に進み、見覚えがあると言った所で曲がった。
「ここだ、ここがおじさんの家だよ」
見れば随分と立派な家で、この辺りじゃ有名なベイカー邸だった。ベイカー氏は若くして起業に成功したらしく、噂では遊んでも遊びきれないほどの財産を持っているとか言われている。噂の真偽はともかく、こうして豪邸を構えているのだから金持ちに変わりはないだろう。
巡査は緊張した面持ちでチャイムを鳴らした。ビー、という音が鳴って、しばらく待ったが反応は無い。ロイは巡査の手を引いて扉に向かった。重そうな扉をロイが引いた。鍵はかかっておらず、すんなりと開いた。ロイはそこから動かず、巡査が動くのを待っていた。
「こんばんはベイカーさん。いらっしゃいませんか」
広い玄関に声が響く。巡査の声が吸い込まれ、静まり返る。「おじゃましますよ」と巡査は声を張り上げ、これにも応答がないのを確認してから中に入った。ロイも遠慮がちに続いて入った。
中は真っ暗だったので、適当に照明を付けた。部屋には一昔前のアンティーク調の家具がずらりと並んでいて、落ち着いた雰囲気にまとまっている。中でも目を引いたのは大きな本棚だ。本棚自体は部屋に溶け込むデザインで、おかしな所は無い。ただ、しまってある本が妙な気がした。本の背表紙には日付が書いてあり、一番古いもので四十年ほど前から始まり、新しい物だと今年だ。日記のようだが、こうもまめに付けて飾っているというのはおかしな気がした。
巡査は一番古い日記を取り出して開いてみた。
二一五七年 三月二十五日
起業に成功して以来、人間不信が拭えない。金持ちの道楽と言えば酒と女とドラッグばかりで、何の生産性もない。こうも醜悪な物かと人間に幻滅する日々を送っている。もちろん仕事は順調そのもので、これに関しては何も不満は無い。ただ人間に不満があるだけだ。これは私にとって非常に苦しいものであり、精神衛生上問題がある。もう接待でにこにことするのも限界だ。接待中に吐き気でトイレに駆け込んだのも、両手の指では足りない。それどころか、私は奴らを人間として見ることができない。あれは悪魔だ。隣人への愛など無い。己の矜持を保つことだけに躍起になっている。神があれを人として許されるはずがない。
そんな奴らと同じになる前に、私は余りある財産を使って美徳を積むことにした。
そして今日、ようやくコールドスリープの技術を開発した。
二一五七年 四月三日
子供を拾う。名前はサラ。四歳だ。
やはり子供は美しい。酒も薬も性も知らない。少し言葉を交わしてみるが、無知そのものだ。私に声を掛けられて簡単についてきた点も好感が持てる。久しぶりに人の美しさを感じられた。
しかし、サラもいずれはあの悪魔どものように歪んでいくのだろう。考えただけでもぞっとする。だが今の私に恐れるものなどない。コールドスリープで寝かせて、冷凍保存すれば良いだけだ。冷凍されている間、子供の時間は止まる。半永久的に子供であり続けられる。
地下に備え付けた、コールドスリープのカプセルにサラを寝かせた。これで私が大人に耐えられなくなった時には、いつでも浄化してもらえるのだ。やっと安眠できる。
二一五七年 四月五日
しまった。サラと会話をするためには解凍しなくてはならない。しかし、解凍したらサラの時間は動き出す。つまりサラと会話するたびに、私はサラを老いさせなければならないのだ。私は毎日でもサラと会話がしたいのに。それに、完全に冷凍、解凍するまでにそれぞれ一週間ほどはかけなければ、体に大きな負担となる。これではコールドスリープなど意味は無い。あぁ、くそ。
二一五七年 四月九日
一人だからいけないのだ。何人もいれば毎日入れ替えて会話できる。
私はコールドスリープの機械を、あと二十機作ることにした。
二一五七年 十二月十三日
二十機がついに完成した。気の狂いそうな日々だったが、その間も二週間置きにサラに励まされたおかげでなんとかなった。
そして今日、エリックを迎えた。サラと違い、活発な男の子だ。飛行機などのおもちゃが好きだ。無邪気で良い。
巡査は夢中で読み漁った。日記の間には時折、児童連続失踪事件について書かれた新聞記事が挟まっていた。そしてついに、二一六〇年三月にそれは記されていた。
「記念すべき二十一人目、ロイを迎える。五歳だ。これで最後の子供になるだろう。ロイは表情豊かで愛らしい」
巡査が読み上げた。ロイは不思議そうにこちらを見た。
次に巡査は最新の日記を引っ張り出した。見れば昨日の日付で止まっている。
二二〇〇年 五月七日
今日はマリーと会話した。マリーは華やかな服が好きだから、今回はドレスをプレゼントした。嬉しそうに着て見せてくれたが、やはり似合う。他に欲しい物が無いか尋ねると、ぬいぐるみが欲しいと言っていた。次までに買っておいてやろう。
ブラッドの装置を解凍に切り替えた。もう歳だから、こうしてメモしておかないと忘れそうだ。
明日はロイの日だ。ロイには絵本を用意している。きっと気に入ってくれるだろう。
巡査は急いで地下への道を探した。ばたばたと広い家を歩き回ると、風呂場に電気が付いていた。浴室を覗くと、中でベイカー氏と思われる人物が裸で倒れていた。頭を強く打って死んでいる。状況から推察するに、滑って浴槽に頭を打ち付けたのだ。ただの事故で、ベイカー氏は亡くなっていた。そして時間通りに目覚めたロイは、ベイカー氏がいなくなったと思って外に出てこられたのだ。
巡査はすぐに署に連絡をした。応援の要請と、四十年前の児童連続失踪事件について調べてさせるためだ。連絡が終わると、地下室を見つけるために床を叩いて回った。
応援が来るより早く、ベイカー氏の寝室に地下への階段を見つけた。急いで降りると、真っ暗で何も見えなかった。なんとか壁をつたって進むと、奥に仄明るい空間が見えた。そこには二十一機のコールドスリープのカプセルがあり、中で二十人の子供が眠っていた。機械自体が青白い光を放っていて、周りが明るく照らされていた。
機械に駆け寄ると、「サラ」と書かれた機械に「残り十時間」という表示がされていた。隣の「エリック」には「残り三十四時間」とある。それだけの時間で、子供たちは完全に解凍され目覚めるのだ。並んでいる順番で「ブラッド」まで、解凍までの時間が表示されていた。全てを解凍に切り替えなければ、と焦る。
こつん、と足音がした。振り向くと、ロイが古風なカンテラを持って立っていた。
「ロイ、お前この子供たちのことを知っていたな」
巡査の顔は青白く照らされていた。ロイはカンテラの橙色の光を浴びている。
「みんな生きているなんて思ってなかったんだ。おじさんは人形だって言っていたから」
巡査は唾を吐きたい気分で機械を見分した。人形だと、とサラを見た。青白い、生気の無い顔をしている。あの日記を見なければ、もしかしたら自分も人形と間違えたかもしれない。思わず一つ目のカプセルを殴りつけた。頑丈でびくともしない。
衝撃で驚いたのか、サラの目が開いた。その目が巡査を捉えた。サラの唇が、「寒い」と動いた。