「外の国の行商人がやってきた」
その話はあっという間にエーデンの城下町に知れ渡った。
半年に一度程度来るジェマの国の行商人は、エーデンでは見る事のできないおもしろい食べ物や道具、技術を持ってくるのでエーデンの民の中ではとても人気がある。
特に人気が高いのは魔法と呼ばれる技術で、呪文を唱えるだけでたいていの事を成し遂げてしまう便利な物である。
そんな商売道具を持って、行商人はエーデン城の中へと入って行った。
今回訪れた行商人は20代半ばの青年である。
行商人の証である帽子を深く被り、大きな荷物を背負っている上に、片手に籠に入った青い小鳥を持っている。長身でほっそりした体型で、いかにもな好青年である。
まず行商人はエーデン城の主である、エーデン王に目通りに行く。
長く、赤い絨毯の上を歩くと見えてきたのは、大きな扉の前に立ちふさがる衛兵である。
青年は帽子を取り、2人の衛兵に頭を下げた。
衛兵は青年の持つ帽子を見ると扉を開け、「お通り下さい」とだけ言った。
青年はもう一度衛兵に頭を下げ、そのまま扉の向こうへ歩を進めた。
「よくぞいらっしゃった、ジェマの商人殿」
低く、重々しい声が響いた。
その先に座するのはエーデン王である。
王は立派な玉座に座り、行商人の到着を心待ちにしていたようであった。
青年はエーデン王が良く見える場所まで来ると跪いて頭を垂れた。
「お初にお目にかかります。エーデン王。前の商人の二ールの息子、キースと申します」
「そうか、二ールはもう隠居か?」
「いえ、私に一度貿易の経験をさせる為に今回は一人で行け、と」
「それは結構なことだな」
エーデン王は微笑んだ後、大きなため息をついた。
「キースよ。恥ずかしいことだが、今私は実の娘に手を焼いておる。あれは魔法に取り憑かれていてな、宮廷魔導士の力で魔法の檻に閉じ込めてあるのだ。
ジェマの国の力でどうにかできないだろうか?一度様子を見に行ってほしい」
青年、キースは面倒なことになったぞ、と思ったが、貿易相手国の国王の頼みを断れるはずもなく、キースは「承りました」と言った。
キースは姫の様子を見に行くために立ち上がると、大臣がすかさず「こちらです」と案内した。
姫の居る所へ向うにしては景色がおかしかった。
まず階段で1階に案内されたかと思うと、外に出て王宮から遠く離れ、かろうじて城の敷地内である庭に来た。
実の娘である姫が住むような所ではない事くらいキースにも分かり、思わず青い空を仰ぎ見たが木に埋もれて空が少ししか見えない。
更に大臣はその庭の隅にどん、と置いてある、四角く削られた墓石のような石をどけた。
その下には階段が隠されており、大臣が持ってきた蝋燭の火を頼りに地下へと入った。
もう空が青いことも分からない。
中にあるのは大きな牢屋で、案の定中には女が居た。
「こちらがアイリーン姫でございます」
すっと顔を上げた女は青に近い白い肌をしていた。
だらりと伸びた黒髪。ズタズタに引き裂かれた白いドレス。
そのどれもがおよそ姫と呼ぶに相応しくなかったため、整った美しい顔が異形に思えた。
それでも、その幻想的な赤い光に浮かぶ白と黒に、キースは思わず目をうばわれた。
「それでは私はこれにて失礼いたします」
大臣の言葉にはっとした。
大臣は蝋燭をキースの足元に置き、躓きながら外へ逃げた。
”魔法に取り憑かれた姫”とは、彼らにとっては気味が悪く、一刻も早く目の前から立ち去りたい存在なのだろう。
キースも不気味に思ったが、その一方で自分の父に幽閉される姫を哀れに思った。
「姫、お初にお目にかかります。ジェマの行商人、キースと申します」
「ジェマ、の?」
透き通った、玉のような声がすぅっと耳に入ってきた。
「はい」
「まぁ、ジェマの?あの、この国に魔法を持ってきたジェマ?まぁ素敵!礼儀なんてどうでもいいわ。こっちに来て」
「はっ。失礼します」
キースが牢屋に近づくと ばちん! と音がして弾かれた。キースはその衝撃で後ろに倒れた。
キースがわけが分からず驚いていると、アイリーンの表情が強張った。
「宮廷魔導士の結界ね。大丈夫。私の魔法で少しなら穴を開けられる。ちょっと待って」
アイリーンが牢の奥から一つの魔道書を持ってきた。
あるページを開いてそこに書かれた呪文を読み上げる。
「ガイア オネ ア イテド」
ガン!!
と響く轟音。
見ると牢のドアが開いている。
「さぁ、早く。長くは持たない」
キースははっとして荷物をしっかり持ち直し、牢の中に飛び込んだ。
キースが中に入った瞬間に牢の扉が ガゴン!! と音を立てて閉まった。
とたんにキースはとんでもないことをしてしまった気になり、しばらく扉を見つめた。
「さ、座って。ねぇ、今はどんな魔導書が出回っているの?私、ここに来てもう5年以上経つから外のこと、ほとんど分からないの」
興奮気味にアイリーンが言う。
そして青い小鳥を見つけて「まぁ!」と喜んだ。
「素敵。鳥なんてここには来ないのよ。ねぇ、これはジェマの新しい魔法の鳥?」
キースは驚いた。
「よく分かりましたね。その通り。本来青い小鳥など存在しません。しかし、我がジェマ国の魔法を持って、白い小鳥をまるで空の色を写したような見事な青に染め上げたのです!ここにその魔導書があって…」
キースは自分の国の技術が認められていることに気を良くして、興奮気味に語りだした。
しかし、逆にアイリーンの興奮がだんだんと冷めてきているようだった。
「色の呪文と言ってあらゆる物を思うように着色していける便利なものです。使いこなすのは困難ですが、熟練してくるとこの魔法で絵を描くのも可能で、将来的には画家などの…、姫?」
「空、の、色。忘れてしまったわ」
感情の無い、悲しい声。
「そう、この鳥の色なのね。きれい。・・・もう一度、見てみたい」
「・・・姫は、この牢の中から出れないのですか?」
「何度も出た。地上への階段を蓋する石も魔法でどかしてみた。でも、眩しくて、また自分でここに帰ってくるの」
「・・・」
「でも、外に空があるのなら、もう一度出てみようかしら」
キースは、アイリーンの瞳にちらりと光を見た。
魔法に取り憑かれた彼女は、何の為に魔法を勉強したのか。
それは少なくともこんな暗闇で一人になる為ではないはずだ。
「姫、」
だから、と
「私もお手伝いします」
キースは心に決めた。
「・・・!まぁ、…。いいの?あなた行商人でしょう?国際問題になりかねないわ」
「構わない。貴女はこの鳥じゃない。ここで一生を終える義務などありません」
アイリーンはもう一度「まぁ!」と言うと嬉しそうに笑った。
「こんな所に居る私にもそんなことを言ってくれる人がいるのね」
「私に出来る事があるとは思えませんが、何なりとお申し付けを。準備が整い次第出ましょう」
すでにキースにはアイリーンへの恐怖は無かった。全て哀れみに変わっていた。「私にはこの魔導書が一冊あればいいわ。ここにある中で一番お気に入りなの。あ、でも少し待って」
アイリーンはさっと籠の前にしゃがみ、その鍵を開けた。
青い小鳥は かしゃんっ という音に驚いて籠の中で暴れ、混乱しながらついに籠から出た。
「大丈夫。ここの結界からは出れないわ。勝手で申し訳ないのだけれどこの子は、私が買い取ってもいいかしら?」
キースが承諾する前にアイリーンは魔導書を開き、呪文を唱え始めた。
「シニヘ サイ ンゲシナ ワタ」
青い小鳥は光を放ちながらみるみる姿を変える。光が途絶え、現れたのはアイリーンと瓜二つになった青い小鳥だった。
小鳥は首をかしげ、何が起きたのか理解できていない。
「あなたはこれから姫様よ。ここに座って、私のふりをしていて。いい?」
小鳥はアイリーンの言うことが理解できたらしく、その場に座った。
「さぁ、行きましょう」
アイリーンがもう一度牢の扉を開け、2人で急いで外に出ると扉が閉まった。
「今なら階段の石はどいているはずです」
キースはアイリーンの手を引いて歩きだす。
これで国際問題になろうが知らない。
これで母国へ帰れなくなっても悔いない。
だいたい彼女がこうなったのは自分の国のせいでもあるのだから
自分が助けてやるのは当たり前だとすら思った。
彼女に青い空を見せてやりたい。
青くない鳥を見せてやりたい。
自由に羽ばたく鳥を見せてやりたい。
その為の、一歩だ。
バチン!!
何かが弾く音。
驚いて振り返ると、暗い檻の中に青い鳥がボロボロになって落ちていた。
おそらく、ついて行こうとして魔法の結界に弾かれたのだろう。
魔法は解け、衝撃に小さな体は耐えられず見るも無残な姿になっていた。
驚き、混乱、悲哀が混ざり、どうすればいいのか分からず立ち止まる。
「あ、」
アイリーンが小さく悲鳴を上げる。
階段から大臣が宮廷魔導士を3人も従えてやってきたのだ。
逃げ場がない。
「姫様。失礼ながらそこで話は聞かせていただきました。外へ出るなど、何をお考えで」
「別にあなた方に危害を加えようなど思っていません。そこを通しなさい」
アイリーンは厳しい顔でそう言った。
大臣は呆れたように、脱力したように頭を振る。
「『空を見たい』など、貴女様の罪をお忘れですか。罪ある者は、例え一国の姫君であろうと外を垣間見る事すら許されないのです」
大臣は苦々しい顔でそう言った後、右手を挙げて魔導士に合図をした。
キースは魔法を使えない。何をしたらいいのか、何を目的にしたらいいのか、もう分からない。
自分の無力さを一瞬にして思い知らされた。
アイリーンは勇ましく応戦しようと魔道書を開き、呪文を探す。
しかし、遅い。
3本の魔法の槍が、アイリーンに襲いかかる。
まさに一瞬の出来事。
一つは胸、一つは腹、一つは右足の付け根。
それらは全てアイリーンを貫通して地面に突き刺さった。
アイリーンは魔道書を落とし、血を吐いた。
かろうじて息をするアイリーン。磔にされた魔女を彷彿とさせた。
「王は、」
大臣が俯き、泣きそうな声で言う。
「王は、『姫が外に出ようとしたら、殺せ』と、仰せになりました」
「っ!?」
キースは思わず大臣に掴み掛りそうになった。
しかし、この大臣が悪いわけではない。それどころか大臣は泣いているのだ。
「王は、アイリーン様を嫌っておられます。生前から、『要らぬ子だ』と。
だから、何かと理由を付けて消し去りたかっただけなのです。魔法に興味を持ったアイリーン様を『魔法に取り憑かれたのだ』と騒ぎ、檻に閉じ込め、ジェマの二ール様にまで協力を仰ぎ、お優しいキース様が姫様を外へ連れて行こうとする所を殺してしまおうと…。どうかお許しを、姫様。どうか、お許しを…、」
涙を流して許しを乞う姿は、見ていて辛い物があった。
「だい、じょうぶ、です」
アイリーンの、かすれた声。
「あなた、が わたしの、みかたなの、は、わかっていました・・・」
大臣はの顔が青くなる。「姫様」と絞り出した声には、計り知れない敬意と恐れがあった。
アイリーンの慈愛に満ちた瞳に見つめられ、大臣はその場に崩れ、声を殺して泣き始めた。
「きーす、だったわね・・・?」
キースはいきなり名前を呼ばれて顔を上げた。
「そらが、みたかった」
「あおくないとりも」
「あなたのように さわやかなかぜも」
「あおいとり しんだ ?」
キースには分かっていた。
空が青いことも。
青くない鳥が外で飛び回っていることも。
外の空気はこんな地下よりも爽やかで気持ちが良いことも。
大臣がアイリーンの事を大切に思っていたことも。
宮廷魔導士が本当はこんな事をするために居るんじゃないってことも。
青い鳥が、死んでいることも。
「生きていますよ」
── さようなら ローレライのお姫様 ──
fin.